人間・茂吉の生涯にふれる、
齋藤茂吉記念館。
2014年2月某日
大正から昭和にかけて活躍したアララギの代表歌人「齋藤茂吉」は、上山市の出身だという。茂吉が生涯に渡り詠んだ歌は17,000首を超え、現在、北海道から九州にかけての広範囲に多くの歌碑が点在し、いまなお茂吉を敬愛する人々の手によって歌碑が建立され続けている。極寒を極める東北の2月。先の記録的な大雪が未だニュースを賑わすなか、何故か積雪が例年の半分以下という、私たちを歓迎するかのような上山へ、茂吉の足跡を辿る旅に出た。
1882(明治15)年、山形県南村山郡金瓶村(現上山市金瓶/かなかめ)に誕生した齋藤茂吉は、高等小学校を卒業後、その神童ぶりから東京で医院を開業していた同郷出身の斎藤紀一の養子となり、東京帝大医学部を卒業。精神科医の道を歩む傍ら正岡子規に傾倒し、伊藤左千夫へ師事し作歌を志すようになる。短歌を〈生のあらわれ〉とするその生命主義は、代表歌集である「赤光」「あらたま」で開花し、歌壇を超え広い読者に衝撃を与えた。一方で、私人としては紀一の次女、輝子と結婚。息子には、モタさんの愛称で親しまれた精神科医で随筆家の斎藤茂太氏をはじめ、作家の北杜夫(齋藤宗吉)氏がいる。
茂吉ゆかりの品を展示する「齋藤茂吉記念館」は、かみのやま温泉の手前、国道13号線を入ってすぐの小高い「みゆき山公園」内にあった。公園は〈JR茂吉記念館前駅〉と直結し、電車でのアクセスも至便だ。立派な赤松が目を引く入口には、県内出身の彫刻家、桜井裕一氏作の〈茂吉胸像〉が、凛としたまなざしで私たちを迎えてくれた。
早速、受付で入館料(大人500円)を支払い、中へ。館内は茂吉の業績や生活を伝える書画や遺稿、交遊した文人との書簡などの資料を、作歌の歩みに沿って紹介する地下の常設展示室と、齋藤家の一族や晩年の茂吉の書斎を再現した、一階の展示室に分かれている。施設には、茂吉の生涯をスライド上映する映像室や、茂吉自身の肉声による短歌朗詠が楽しめる仕掛けなど、その文学的世界に気軽に親しめる工夫がされており、短歌に馴染みがない人でも充分に楽しめる。
愛用のカンカン帽や眼鏡とともに並ぶ遺品の中には、茂吉が〈極楽〉と称し携帯していた便器のバケツなど、ユニークなものも。ときに洗浄して野菜や果実を入れて持ち歩いたというエピソードに「繊細なのか、豪快なのか…」と、連れも複雑顔だった(笑)。
明治天皇ゆかりの景勝地で、
まだ見ぬ春を想いながら。
記念館が建つ「みゆき公園」の名は1881(明治14)年、明治天皇が東北巡幸の折、蔵王連峰を見渡すこの地に、小休所を設けたことに由来する。園内には復元された小休所(「環翠亭」)とともに、茂吉の短歌
『 蔵王山その全けきを大君は 明治14年あふぎたまひき』
を刻んだ行幸記念碑や、茂吉をはじめとするゆかりの歌人の歌碑も点在している。
記念館から伸びる赤松に囲まれた遊歩道の先には、かつて箱根にあったという斎藤家の別荘〈箱根山荘〉の離れも移築展示されていた。茂吉はこの建物を〈勉強部屋〉と呼び、疎開から帰京後の通算8年の夏の間、書斎として使ったという。
約250本の染井吉野がある公園は桜の名所としても知られ、〈JR茂吉記念館前駅〉から続く道は、春には見事な桜のトンネルと化し、新幹線が通り過ぎるたびに風に舞い踊る桜吹雪が、夢のように美しいのだという。ここに来たらぜひ、屋内、屋外ともに、たっぷりと時間をかけて、茂吉の世界に触れてみて欲しい。
葉山舘に着く頃は、既に夕暮れどき。ロビーには、春を呼ぶ梅の香りがふわり漂っていた。ふと気付けばフロントの傍らに、ふる里に疎開してきた茂吉が、激しさを増す戦況に心を鎮めるため、1949(昭和24)年「みゆき公園」で作歌したという
『郭公と山鳩のこゑきこえ居る 木立の中に心しづめつ』
の歌が紹介されている。今しがた佇んでいた公園の風趣が脳裏によみがえる。蔵王の山々を眺める部屋の足湯で、紫色の稜線が闇に溶け落ちる様子を、いつもより深い感慨を抱きながら、二人で飽かずに眺めた。
夕食は今日もまた、2種類ずつ用意された肉料理、魚料理、お食事から、連れと互いに違うものをセレクトする貪欲作戦(笑)。私が真っ先に惹かれた「山形牛赤ワイン煮込み」は、ジューシーな肉の深い旨味とコクのあるソースが秀逸だった。旬の「庄内寒鱈どんがら汁」や「子持ち若さぎ唐揚げ」、初めて味わう「チーズ雑炊 トマト味噌添え」など、食指をそそる献立の数々に思わずオーダーした宿おすすめのワインは、いま愛飲家の間でも注目のかみのやま産シャルドネ100%による限定生産。料理を選ばない、すっきりとした辛口は果実味にあふれ、食中酒にもよく合う。聞けば県内には酒蔵も含め、地場ワインを醸す造り手が12もあるとのこと。まだまだ奥深い、山形の食文化に楽しみがまたひとつ増えてしまった。
部屋でしばらく酔い冷ましをした後、ひとり向かった24時間掛け流しの大浴場は、なんと贅沢な貸切状態。愉快な大名気分のご褒美となった(笑)。
茂吉生誕の地、金瓶あるき。
同じ風に吹かれながら。
冬季オリンピック中継の観戦で、やや寝不足の翌朝。すでに部屋の眺望風呂でひと風呂浴び、爽やかな様子の連れに促され、少々、重い頭を抱えながら朝食へ。
客が予約した時間に合わせ、専用土鍋で炊き上げる白飯のいい香りが立ち込めた食事会場では、昨夜と同じ担当の若いスタッフが、元気な挨拶で迎えてくれた。
「ホラ、ここにも」と、朝から食欲満々の連れが差し出した納豆には、
『東北辯(べん)の夫婦まうでて憩ひ居り 納豆のこと話してゐるも』
の茂吉の歌が。「本当に親しまれているのね」と、彼女もすっかり感心している。伺えば、茂吉の生家がある金瓶はすぐ近くとのこと。せっかくだから寄ってみる?と、聞けば二つ返事の笑顔が返ってきた。
宿をチェックアウトして、車を北へ走らせること約10分。金瓶地区は、昔ながらの素朴な集落だ。まずは「茂吉ふるさと会館」の駐車場に車を停め、すぐそばの「茂吉の生家」へ。
『のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり』
をはじめ、近代短歌の絶唱とされる59首の歌を残している。現在、母屋は改築され、傍らに建つ土蔵だけが当時の面影を伝えていた。
生家のすぐ脇には、少年期の茂吉が学んだ「金瓶学校」も保存されていた。この建物は、1873(明治6)年、隣接する宝泉寺の住職が寺の敷地内に隠居所として建てたもので、寺子屋に用いられた後、金瓶尋常小学校として活用されたという。のちに、上野尋常小学校の新築で廃校となり、文化遺産として上山市に寄贈されたようだ。今にも着物姿の子供たちが飛び出してきそうな校舎の脇には、流れた時を語りかけるクスの巨木が聳え、幼い茂吉が遊んだ村の鎮守、金谷堂神社も見えた。
終生の師と並び眠る茂吉の墓。
母へ寄せる哀切の歌。
ところで、多感な茂吉少年には、師と仰ぐ人物がいたようだ。その人物とは「金瓶学校」を建立した宝泉寺の第四十世住職、佐原窿応(りゅうおう)和尚。茂吉は和尚に習字や漢文などを学び、その教えは、茂吉の精神形成に決定的な影響を及ぼしたという。寺の境内には、今なお終生の師として慕うように、和尚の墓に並び1953(昭和28)年2月25日、東京の自宅で70歳で逝去した茂吉の遺骨が分骨されて眠っている。「茂吉之墓」と記された簡素な墓石には、茂吉自身が55歳の時に考えた〈赤光院仁誉遊阿暁寂清居士〉の法名が刻まれ、生前に植えたアララギの木が、寒空のなか青々と枝を伸ばしていた。
そこからさらに車で数分、かつて金瓶の火葬場跡だったという田園の一角には、母いくの骨を灰の中から拾い集める茂吉の姿を彷彿とさせる
『灰のなかにははをひろへり朝日子(あさひこ)の のぼるがなかにははをひろへり』
の歌碑が、穢れない雪原に哀感をたたえ佇んでいた。
夫婦で営む隠れ家的そば処。
自家製野菜のこだわり突き出し。
底冷えする寒さに震えながら、帰りに偶然見つけた「想耕庵」は、知るひとぞ知る手打ち蕎麦の人気店。もともと、温泉宿だったという建物をそのまま利用した店は、立ち寄り温泉もできるという。蕎麦処として利用している建物は、かつて大石田にあった紅花豪商の離れで築100年を超える古民家。重厚な造りと年代物の調度品が目を引く続き間の座敷は、涼やかな川に面し、春の桜、夏の川床、秋の紅葉と風流に蕎麦が楽しめる趣向らしい。私はシンプルな「板そば」(並盛 800円)、連れは主人おすすめの「つけ麺」(1,200円)を注文。メニューには、オーナーの吉田さん夫妻が自家菜園で育てた無農薬野菜の突き出しが3品付く。気になる蕎麦は、県産そば粉〈でわかおり〉を使った喉越しもいい二八の細麺だ。とろりと濃厚な蕎麦湯に、凍えた体も生き返るようだった。
茂吉が生涯に渡り愛したふる里で、知られざる「齋藤茂吉」の素顔に触れた今回。稀代の大歌人が残した多くの作品は、茂吉が信条とした〈生のあらわれ〉を歌い上げる繊細な素朴さにあふれ、今なお、人々の心にみずみずしい共感を響かせていた。
折しも季節は、いのちの萌芽に目覚める3月。城下町かみのやまでは、春の訪れを祝う恒例の雛祭りも開催されるようだ。歌は訪ねる地それぞれに息づく物語の輝きだ。それは、言葉を超えて語り継がれる、風土の記憶なのかもしれない。
【茂吉のふる里を訪ねて 詳細】
↓ 「かみのやまの雛祭り」詳細はこちら
■齋藤茂吉記念館
茂吉の生家(金瓶)の近く、東に蔵王連峰を仰ぐ景勝地「みゆき公園」に、1968(昭43)年に開館した記念館。館内には、近代短歌史上に輝かしい業績をのこしたアララギ派の歌人、斎藤茂吉の遺品や遺稿、遺墨、自筆の書簡、茂吉と交流のあった長塚節や伊藤左千夫たち文人の資料などを編年的に展示しているほか、箱根の強羅にあった別荘が移築されている。
住所/上山市北町字弁天1421
TEL/023-672-7227
開館時間/9:00〜17:00(入館受付は16:45まで)
休館日/7月第2週の日曜日〜土曜日、年末年始(12/28〜1/3)
入館料金/大人500円・学生250円・小人100円
駐車場/有り
*受付で音声ガイド(一台300円)を貸出しサービス有
↓パンフレットはこちら


◎齋藤茂吉 さいとうもきち
大正昭和期にかけて活躍した歌人で、アララギの中心人物。1882(明治15)年、山形県南村山郡金瓶村(現上山市金瓶)に農業を営む父、守谷熊次郎と母、いくの3男として誕生。幼い頃からその資質を見出され、同郷出身で東京の浅草で開業医をしていた斎藤紀一のもとに養子として迎えられた。一高理科在学中、正岡子規の歌集「竹の里歌」に感銘を受け、伊藤左千夫に入門、作歌を志すようになる。東京帝大医科卒業後は精神科医としても活躍。文才にもすぐれ柿本人麻呂、源実朝らの研究書の他、宇野浩二、芥川龍之介にもその才能を評価された随筆も多い。生涯に全17冊の歌集を発表し、17,907首の歌を詠んだ。紀一の次女で妻の輝子との間に生まれた子供には、長男で精神科医の斎藤茂太、次男で作歌の北杜夫がいる(エッセイイストの斎藤由香の父)。また、妻の弟である齋藤西洋の妻の兄は堀内敬三であり、娘の夫の兄の息子は金子洋一である。
●箱根山荘の勉強部屋
茂吉自ら「箱根山荘の勉強部屋」と呼んでいた神奈川県箱根町強羅にあった斎藤家別荘の離れ(1939/昭和14年建築)を1979(昭和54)年に移築、公開。
●齋藤茂吉歌碑
・『蔵王山その全けきを大君は 明治十四年あふぎたまひき』
・『ゆふされば大根の葉にふるしぐれ いたく寂しく降りにけるかも』
・『あしびきのやまこがらしのゆく寒さ 鴉のこゑはいよよ遠しも』
●伊藤左千夫歌碑
・『わかやとの軒の高葦霜かれて くもりにたてり葉の音もせず』
●島木赤彦歌碑
・『わが庭の柿の葉硬くなりにけり 土用の風の吹く音聞けは』
■みゆき山公園
1881(明治14)年、明治天皇が東北巡幸の折、この地に小休所を設けたことに由来する公園。蔵王連峰を望む風光明媚な環境には、ソメイヨシノやヤエザクラなど約250本の桜が植えられ、毎年4月中旬〜下旬にかけ冠雪をいただく蔵王連峰との見事な景色を見せる。JR茂吉記念館前駅と直結し電車でのアクセスも便利。
住所/上山市北町弁天1421
TEL/023-672-1111(上山市役所)
駐車場/有り
●環翠亭
1881(明治4)年10月、明治天皇の東北巡幸の際に小休所とされた建物を、1981(昭56)年に復元したもの。「環翠亭」の名は復元の際に命名。
■茂吉の生家
齋藤茂吉は1882(明治15)年に現上山市金瓶の農家、守谷伝右衛門家で生まれ、14歳までの少年時代をここで過ごした。屋敷門のある入り口には「茂吉の生家」の看板が掲げてある。現在も居住しているため、母屋は改築されているが、茂吉が疎開の折、過ごしたという右手の土蔵などに当時の面影をしのぶことができる。
住所/山形県上山市金瓶
TEL/023-672-1111(上山市観光課) *見学は問い合わせ要
■金瓶学校
1873(明治6)年、当時の宝泉寺住職が隠居所として建て、寺子屋として用いられた後に小学校となった。茂吉も生家に隣接するこの金瓶尋常小学校で学んだという。この「金瓶学校」は1904(明治37)年、上野尋常小学校の新築で廃校となり、以後、宝泉寺で保存してきたが、1981(昭和56)年に文化遺産として上山市に寄贈された。
住所/山形県上山市金瓶
TEL/023-672-1111(上山市観光課) *見学は問い合わせ要
■宝泉寺
茂吉の生家、守谷家の菩提寺。境内は、茂吉兄弟の格好の遊び場だったという。寺の第四十世住職佐原窿応は、茂吉の精神形成に決定的な影響を及ぼした人物として知られる。境内には茂吉の歌碑の他、窿応と並び茂吉の墓もある。
住所/山形県上山市金瓶北165
TEL/ 023-672-7227
●茂吉歌碑
・『のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり』
・『白萩は寶泉寺の庭に咲きみだれ餓鬼にほどこすけふはやも過ぐ』
●茂吉の墓
宝泉寺の本堂左手奥、終生の師匠と慕った窿応和尚と並んで建つ。墓石には茂吉の筆跡によって「茂吉之墓」と彫られ、裏面には生前自分で考え、窿応和尚からもらったという戒名「赤光院仁譽遊阿暁寂清居士」が刻まれている。墓所には生前に植えたというアララギ(イチイ)の木がある。
■想耕庵(そうこうあん)
もと温泉宿の奥座敷を改装した手打ちそば屋。かつて大石田の紅花豪商の離れだったという建物は紫檀や黒檀、鉄刀木や黒柿が建材に使われた重厚な造り。茂吉も歩いただろう最上川の支流、須川に面した座敷は春の桜、夏の川床、秋の紅葉と、絶好のロケーションのなか、元産そば粉による二八そばが楽しめる。メニューには、オーナー夫妻が育てた無農薬野菜による、季節の手作り小鉢が3品付く。板そば(並盛り800円・大盛り1,000円)の他、自家製野菜の天ぷら(600円)や、そばのハンバーグ(600円)や、そばデザート(300円)も充実。
住所/上山市金瓶字原150
TEL/1023-672-4987
営業時間/11:30〜蕎麦が無くなり次第終了
定休日/定休日第1・3木曜日
駐車場/有り