2013年06月14日

5月 羽州街道楢下宿

軍事的要衝だった
羽州街道の宿場街、楢下宿。

2013年5月某日

01楢下宿看板s.jpg02楢下宿老婆s.jpg03楢下宿堀と花s.jpg
04浄林寺s.jpg10浄林寺鐘s.jpg
11浄林寺裏山s.jpg12浄林寺裏山s.jpg14浄林寺裏山よりs.jpg13浄林寺裏碑s.jpg

 山形県の南東部、上山市にある「かみのやま温泉」は、県内の湯野浜温泉、福島県の東山温泉とともに、古く“奥羽三楽郷”とうたわれた名湯だ。上山市は城下町、宿場町、温泉街の文化を擁する全国的にも珍しい都市だという。そんな街の魅力に惹かれ、温泉好きな連れの二つ返事で、一路、新緑の出羽路へ。
 奥州街道と並び、東北の二大街道とされる羽州街道は、奥州街道から桑折(こおり)宿で分岐し、金山峠を越え出羽国(現在の山形県と秋田県)を縦断、油川宿(青森県青森市)で再び奥州街道(松前道)と合流する江戸時代の脇往還(五街道に次ぐ主要街道)だ。街道は、かつて諸大名の参勤交代で利用され、物資や文化を運ぶ奥羽の大動脈だった。
 「楢下(ならげ)宿」は、この羽州街道に1602(慶長7)年に開設された宿場町で、大名の宿泊や休憩所である本陣、脇本陣をはじめ、問屋、旅籠屋、茶店などを備え交通の要所として栄えた。現在、楢下には当時の面影を伝える歴史的遺構が復原され点在。1997(平成9)年に「羽州街道楢下宿・金山越」として国の史跡に指定されている。
 上山市街から楢下までは国道13号線を七ヶ宿方面へ車で約20分。街歩きをするなら、「旧武田家」、または「大黒屋」に隣接した駐車場がおすすめだ。ゆるやかな勾配の両脇に住宅が並ぶ閑静な集落は、春真っ盛りの花々であふれかえっていた。
 藩境に位置した楢下宿は、出羽国に入り初めて本陣を置く宿場として関所が設けられ、出入り人や荷物が厳しく管理された。そのため、または、元来の自然的地形なのか、明治時代に新道ができるまで、宿場は川を“コの字型”に2回横断する、全国的にも特異な形を呈していた。集落のほぼ中央、道がちょうど屈曲する境の小高い丘に、1753(宝暦3)年に建立された「浄休寺」は、軍事的拠点だったのだろうか。見事な龍雲紋の彫刻がほどこされた重厚な本堂と、風雪に耐えた樹齢300年の大銀杏が、不落の古社の威厳を見せていた。寺の裏手に広がる墓所の小山には、鬱蒼と生い茂る鎮守の森に見え隠れする古い石段もあり、150段ほどの階段を上った頂きには、供物が供えられた小さな石祠もあった。麓には赤松の大木が寄り添う祠も見え、おとぎ話の世界を髣髴とさせる。

16新町めがね橋s.jpg17新町めがね橋横公園s.jpg19庄内屋s.jpg
20庄内屋s.jpg24庄内屋s.jpg25庄内屋s.jpg
28大黒屋s.jpg36庄内屋横道s.jpg

風趣あふれる水と橋の佇まい。
往時を語る歴史的遺構群。

 新町、下町、横町、上町の四町が川をまたぎ、鉤(かぎ)型に広がる楢下宿は、直線的に配置された宿場町と異なり、変化に富む佇まいが広がる。そのひとつが金山川と橋がつくりだす水際の景色だ。中でも「絵ごころがあればねぇ…」と、連れを悔しがらせた「新橋」(通称 新町めがね橋)は、周囲の自然と調和する美しいアーチ式の石橋だ。洪水の度に流出していた従来の木橋に代わり、1880(明治13)年、西洋の最新土木技術を導入して造られたこの橋は、建設費の一部を地元住民が借入してまかなったことから、通行料を徴収していたという。傍らに整備された親水公園「かわばた広場」にはレトロな井戸ポンプもあり、夏に涼を求め、ここに集う人々の賑わいが浮かぶようだ。
 橋を渡った先は下町と呼ばれる宿場の中心で、広い道沿いには準本陣級の格式を誇った脇本陣「庄内屋」もあった。楢下にある歴史的建物は、内部の見学が自由だ。この地に残る遺構の中で最も古い18世紀のものとされる「庄内屋」は、その屋号どおり秋田藩や庄内藩の常宿として使用された曲がり家だ。道の先には1808(文化5)年に建てられ、古くから楢下宿の旅籠を務める由緒ある家柄だった「大黒屋」もある。現在、建物は地域の交流拠点としても活用されているとのこと。通りすがりの住民の方が気さくに教えてくれた。付近の民家では年配の女性が、春の陽射しの下、畑の手入れにいそしんでいる。歴史を紡ぐ人々の営みは、今なお続いているのだ。
 

38庄内屋裏山の墓s.jpg37庄内屋裏道s.jpg36観音堂s.jpg
41須川の流れs.jpg42須川横の花道s.jpg44水と蔵s.jpg
45粟野豆腐店s.jpg48粟野豆腐店若女将s.jpg47粟野豆腐店s.jpg

水と生きる老舗のなりわい。
宿場町で味わう鄙のスローフード。

 公民館で入手した地図を頼りに「大黒屋」の向かいの鄙道にある「樋山文駄ゆかりの観音堂」を探す。次第に山深くなる道に首をかしげつつ、額に汗して上った先にあったのは苔むした石塔群と、さくらんぼ農園。「やっぱり違ったみたいね」と、少し機嫌を損ねた連れをなだめ、迷い道も旅のご愛嬌と、少々、愉快な気分で、もと来た道を下りる。目指す観音堂は上り口からすぐ、細い脇道を進んだ民家の裏にあったようだ。“樋山文駄”の詳細は不明だが、出羽上山藩の第4代藩主、松平信亨の時代、過酷な“竿打ち”(田畑の検地)に上訴し、農民の煽動を理由に24歳の若さで処刑された人物のようだ。非業の最期を遂げた青年を悼む観音堂には、瑞々しい花がたむけられていた。
 御堂に手を合わせたあと、集落の東側にある須川へしばしの寄り道。夏の川遊びスポットでもある須川は、土手沿いに藤やライラックの花が咲き誇り、貯水池に姿を映す白壁の蔵や、美しい野道の傍らを涼やかな清流が陽春の喜びを詠いながら流れてゆく。
 再び集落へ戻る道で見つけた「粟野豆腐店」の“あるき豆腐”なる貼紙。気になり、店の若女将、粟野さんに尋ねると、ここの手づくり豆腐がすぐ食べられるのだという。聞けば店は明治初期からこの地で生業する老舗で、現在4代目。小休止とばかりに早速、1丁(100円)注文。大きめの木綿豆腐を受け取り、そのまま近くの「大黒屋」の軒先ベンチで、青空の下、豆の香りが広がる少し堅めの豆腐をいただく。味付けは粟野豆腐店と隣接する「丹野醤油店」の“味しょうゆ”だ。丹野醤油店もまた、昔ながらの手作業によるこだわりの味噌、醤油を造り続ける老舗だという。楢下の景色によく似合う、まさに贅沢なスローフードだ。

52下町めがね橋s.jpg54下町めがね橋下の散策路s.jpg55山田屋s.jpg62山田屋s.jpg
65旧武田家.JPG67旧武田家s.jpg73旧武田家s.jpg
76滝沢屋s.jpg82滝沢屋s.jpg
86滝沢屋s.jpg85滝沢屋s.jpg87滝沢屋s.jpg88滝沢屋s.jpg

大名を迎えた脇本陣。
豪壮かつ端正な日本家屋の美。

 金山川に架かるもうひとつの石橋「覗(のぞき)橋」(通称 下町めがね橋)は、新橋をそのまま小ぶりにした姿だ。橋のたもとからは、新橋まで川沿いに続く道が延び、水辺散策が楽しめる。見上げると橋の向こうの高台に、明治時代の日本家屋「山田屋」が風雅な姿でそびえていた。眼下に川を望む広い母屋座敷の窓からは、金山川と宿場町の胸のすく涼景が広がる。建物には立派な蔵もあり、蚕棚もあったのだろう。黒光りする柱に掲げられた“お蚕泣かすな 桑肥やせ”の火伏札が流れた歴史を饒舌に物語っている。
 ゆるゆると路地の風景を楽しみながら、集落をぐるりと歩き再び「旧武田家」へ。新町の西側に位置するこの家は1758(宝暦8)年の屋敷割絵図に旅籠屋として記されている。座敷は旧尾形家住宅(上山市下生居)にも見られる、筵の下に藁や籾殻を敷いた昔ながらの素朴な仕様で、足の裏に伝わるやわらかな感触が印象的だった。
 集落から車で約5分。最後に訪れた脇本陣「滝沢屋」は、江戸時代、庄屋を務めた由緒ある家柄だ。美しい田園が広がる楢下宿の入口、「一里塚」の石標付近に1994(平成6)年に移築復原された建物は、約250年の歴史を誇るという。11.8間(約21メートル)を超える間口に広縁がしつらわれた豪壮な造りは、庄屋屋敷に相応しい堂々たる構え。内部の見学はここのみ有料(大人200円)だ。“平入り曲家”と呼ばれる建物内には、当時の商いを示す貴重な資料をはじめ、使用していた家具や道具類が展示されている。“扠首梁(さすはり)”と呼ばれる、入口の屋根に組まれた長さ3間半(約8.1メートル)の材をはじめ、長い広縁には格子を取り付けた板戸“しとみ”が設けられ、日本家屋の美意識が香る。「所有者の丹野家は、もともと造り酒屋で、家紋も酒器を模した“二つ瓶子(へいじ)”です」今なお楢下に暮らしているという、管理棟の粟野さんが説明してくれた。ちなみに楢下には「丹野」や「粟野」、「佐藤」姓が多い。例にもれず、住民の高齢化と過疎に悩む楢下でも、現在、自治体や住民が一体となり、文化保存のための様々な取り組みが行われているのだという。

92田んぼ道s.jpg93原口そばs.jpg94原口そばs.jpg
96原口そばs.jpg98原口そばs.jpg99原口そばs.jpg
100さくらんぼソフトs.jpg102葉山館ディナーs.jpg103葉山館ディナーs.jpg104葉山館朝風呂s.jpg

築180年の古民家でいただく、
もっちり絶品の名物そばがき。

 少し道に迷いながら昼食に訪ねた「原口そば屋」は、楢下から車で約10分。のどかな田園と果樹園に囲まれた場所にあった。店は大正初期から続く伝統ある手打ちそば屋で、蕎麦どころ山形でも絶大な人気を誇る、こだわりの10割そばが楽しめる。築180年の古民家を改装した建物は雰囲気もたっぷり。専門店らしくメニューは、もりそばと、その大盛り、そばがき(納豆・ごま)と酒&ビール、ジュースのみ。早速、もりそば(900円)2つと、地元でも評判の、そばがき(納豆・550円)を注文。運ばれてきたそばがきを、一口食べた瞬間、思わず2人でうなってしまった。「これ、本当にそばがき?」連れをそう言わしめた餅のような食感は、まさに噂どおりの絶品だ。平打ちのそばも、そばの香りが広がるコシのある歯ごたえで、鰹だしの甘めのツユとよく絡む。薬味はネギと卓上の一味唐辛子のみ。座敷に飾られた上山市長の「鶴々亀々」(笑)の書といい、無造作に貼られた著名人の色紙の山といい、強気な店の遊び心を感じさせる構えも小気味いい。帰りがてら立ち寄ったドライブインでは、さくらんぼソフトも堪能。本格的な観光シーズンを迎える果樹王国の楽しみは、まさにこれからだ。
 かみのやま温泉でお世話になった「葉山舘」は、女性に優しい心遣いが定評の湯宿だった。郷里への愛情と、もてなしの心意気が伝わる手づくりの懐石料理は、感性あふれる美味揃い。夕食は2種類ずつ用意された肉料理、魚料理、お食事からひとつずつセレクトできる。地元ならではの郷土料理もあり、日本酒やワイン、焼酎やソフトドリンクにいたるまで、山形産にこだわったラインナップも魅力的だ。3タイプある部屋は、いずれも源泉を有した湯元ならではの、かけ流しの温泉風呂付。私たちが泊まった部屋には、上山市街地と蔵王連峰を望む贅沢な足湯と眺望風呂もあり、月明かりの夜景や、朝焼けの幻想風景を別邸気分でたっぷりと満喫。“宿に旅する”愉しみとは、まさにこのことだろう。

 心奪われる里山の景色と、知られざる歴史にふれた楢下宿漫遊。風に吹かれ、花を愛で、そこで暮らす人々とふれあいながら歩いて訪ねるほどに、旅は新しい横顔を見せてくれる。景色に人に味わいに。険しい山嶺に育まれた山形の文化は、訪れる季節の眩しさを、どこよりも鮮やかに映しだす冒険探訪かもしれない。


【羽州街道楢下宿 詳細】


上山ー楢下交通案内 画像修正.jpg


楢下宿マップ 画像.jpg


■かみのやま温泉
山形県上山市にある温泉郷。別名「鶴脛の湯」。古く江戸時代には宿場町として栄え、同じ山形県の湯野浜温泉、福島県の東山温泉と共に「奥羽三楽郷」に数えられた。開湯は1458(長禄2)年、肥前の国(現在の佐賀県)の僧侶、月秀が、沼地に湧く湯に一羽の鶴が脛(すね)を浸し、傷が癒えて飛び去る姿を見かけたことに由来する。湯町には鶴が休んだ石とされる、かみのやま温泉発祥の地“鶴の休石”も残る。温泉は湯町、十日町、新湯、高松、葉山、河崎、金瓶の7地区から構成され、これらを総称して「かみのやま温泉」と呼ぶ。
シンボルの上山城のある湯町、新町界隈には城下町の面影を残す蔵や屋敷などの古風な情緒が漂う。一方、静かな高台にある高松、葉山は、街の喧騒から離れた蔵王連邦を一望する抜群のロケーションで知られている。


■羽州街道
江戸時代の街道で、奥州街道と並ぶ東北の二大街道のひとつ。現在の国道113号、13号、7号にほぼ重なるコースで全長は約497km。福島の桑折町で奥州街道から分かれ、宮城の七ヶ宿、山形、秋田と進み、青森の油川でまた奥州街道に合流する、東北地方の西部を貫く基幹道。途中、上山や山形、天童、新庄、久保田、弘前の城下町を通った。
「羽州街道」の名称は地域性の強い諸街道の総称で、かつては土地毎の「小坂道」「山中七ヶ宿街道」「最上街道(道)出羽山形」「秋田街道(佐竹街道)」「下筋街道」「碇ヶ関街道」「外ガ浜街道」が使用された。街道は陸奥国弘前、黒石藩、出羽国秋田、亀田、本庄、矢島、松山、新庄、庄内、長瀞、天童、山形、上山藩の13の大名が参勤交代で利用し、物資や文化を運ぶ大動脈として、また、出羽三山を参詣する白装束の行者で賑わったという。宿駅は、本陣のない間宿(あいのしゅく)を含めると58を数え、出羽国には、南の「楢下」から北の「及内」まで17の宿駅が設けられた。
江戸時代の文人墨客である菅江真澄や芭蕉を始め、伊能忠敬や吉田松陰、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードなどもこの街道を歩き、日記や紀行文、絵図を残している。


■楢下宿
山形県上山市にある街道遺跡。楢下宿は1602(慶長7)年に開設された羽州街道の宿場町で、背後に金山峠を控えた出羽国の出入口として、13藩の大名の宿泊や休憩所として賑わった。秋田藩や庄内藩が泊まる常宿には「秋田屋」、「庄内屋」などの屋号が付けられ、現在、脇本陣の「滝沢屋」をはじめ、茅葺の古民家が楢下地区会、楢下宿保存会の努力で移築復原され、公開されている。楢下宿はかつて、金山川を挟む鉤型(コの字形)を呈していたが、1883(明治16)年に迂回を解消する直進道が整備された。正式名称「羽州街道 楢下宿(ならげしゅく) 金山越(かなやまごえ)」の名で、1997年(平成9年)に国の史跡にも指定されている。

住所/山形県上山市楢下
TEL/023-672-1111(上山市役所)
     023-672-0839 (上山市観光物産協会)

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●浄休寺
1753(宝暦3)年に建立された真宗大谷派の寺院。境内には樹齢300年といわれる銀杏の大木があり、鮮やかな黄色に染まる秋の紅葉は見事。本堂を飾る玉を握る龍の雲竜紋の彫刻は見事。
住所/山形県上山市楢下62
TEL/023-674-2251

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●新橋(通称・新町めがね橋)
1880(明治13)年に完成した、新町から下町に掛かる石造りのアーチ橋。全長14.7m、幅4.4m。大門石と称する凝灰岩を石材として使用している。洪水の多かった金山川では、何度も木製の橋が流されたことから、西洋化政策の一環として当時の山形県令である三島通庸が命じ、西洋式の石橋が架けられた。1,000円ほどかかった工事費用のうち、県の補助金はわずか300円。残りの700円が地元住民による借入金でまかなわれたことから、この橋を通行する人力車や荷車などから通行料を徴収していたという。市指定有形文化財。
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●覗橋(通称・下町めがね橋)
新橋完成の翌々年、1882(明治15)年に竣工したアーチ橋。全長10.8m、幅3.5m。新橋同様に大門石で築造されている。市指定有形文化財指定。
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●滝沢屋(旧丹野家)
建築年代は明らかではないが、1757(宝暦7)年の大水害以後の建築とされる。もともと下町の大黒屋向かいにあった家屋を1994(平成6)年、現在地(乗馬場)に移築復原した。屋号を滝沢屋と称した丹野家は“滝沢諸白”という銘酒を醸す造り酒屋で、代々庄屋をつとめた家柄。脇本陣だった建物は、間口約21.6m。街道に沿い母屋の棟を平行に置いた形の平入(ひらい)りで、直家(すごや)形式の母屋に対し、「上段(じょうだん)」が土手の奥に張り出した曲がり家となっている。上手の上・下の連続した座敷に続き表側に「中間(なかま)」、裏側に「納戸」を配し、下手に広い「勝手」が設けられた、いわゆる「広間型三間取」の構成に正・次座敷の客座敷が付いた形だが、この2座敷に「中間(なかま)」が鉤型に連続しており、客人が多数の時は「勝手」をあわせ、広々と使用できるようになっている。現在、建物は当時の宿場町の様子や建築工法を伝える貴重な文化遺産として保存され、資料館として活用されている。県指定有形文化財。 
住所/山形県上山市楢下字乗馬場1759-1 
TEL/023-674-3125
開閉時間/9:00〜16:45
休館日/月曜、12月28日〜1月3日
入館料金/大人200円・学生150円
駐車場/有り

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●庄内屋(旧粟野家)
下町で準本陣級の格式のある脇本陣をつとめていた旧家。庄内藩の定宿で煙草盆などの拝領品が遺されているが、その他の藩侯の関札も遺されており、広く利用されたとみられる。改修工事の際、1759(宝暦9)年と書かれた墨書が発見され、楢下に残る古民家のなかでも最も古く、建築年代が明確な遺構。現在、母家から屈折し道路側に張り出した曲がり部が元の玄関で、式台形式であったと思われる。ここから奥に「玄関の間」「中間(なかま)」の2室、「上段(じょうだん)」と一列に並び、この棟に対して直角方向に広い「勝手」と「庭」からなる本屋棟が続き、母家の裏側には土蔵と接続する斜行した廊下状の繋ぎがあり、「下囲炉裏(しもいろり)」が設けられている。市指定有形文化財。
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●大黒屋(旧粟野家)

もともと現在と同じ下町の向かい側、脇本陣の滝沢屋の隣に位置し、古くから楢下宿の旅籠をつとめた由緒ある家柄。家屋は街道沿いに上下各10畳の2室構成の「中間(なかま)」を平行に置いた横家形式とみられる形態と、その奥に「勝手」、「台所」を配した縦家形式とみられる姿を呈し、南側に通り土間、北側に座敷を配した形になっている。間口10.1m、奥行17.5m、茅葺寄棟の屋根形状もそのまま残され、戸障子や台所諸道具、炉、間仕切り形状など各所に古い形がよく保存されている。隣地の一部を借用した証文により、建築年代は1808(文化5)年とされるが、これは母屋を除き他所から解体した建物をそのまま客座敷として建てるための借地で、この古材の年代も含めれば、さらに50年ほど古いとみられる。市指定有形文化財。
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●旧武田家

1758(宝暦8)年の屋敷割絵図に、旅籠であることが明記されている古民家。台所改造の際、「宝暦九うノ六月吉日」の墨書が発見され、建築年代が明確になっている貴重な遺構。新町に位置し、道路に平行に「上段(じょうだん)」「中間(なかま)」の上下座敷が並び、北側は土間となっている。「中間」の奥に広い「座敷」と「台所」の板の間が続き、土間は入口から裏口まで通じ裏口付近に厩(うまや)がある。通り土間式の妻入家に対し「上段」部が鉤形に張り出した曲がり家である。「座敷」には、下に藁や籾殻を敷いた古い仕がみられる。また「中間」と「上段」の前面に広縁があり、その外を土庇(とびさし)式の「小馬屋(こまや)」とし、その間に「蔀(しとみ)」を備えた古代の家構えが特徴。市指定有形文化財。
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●山田屋(旧斎藤家)
1868(明治元)年の火災直後に建替えられた民家。覗橋を見下ろす高台に建ち、楢下宿の中でも当時の雰囲気を感じる場所の1つとされる。木造平屋建て、直屋造り、寄棟、瓦葺。市指定有形文化財指定。

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●樋山文駄ゆかりの観音堂
資料によれば1655(明暦元)年、土岐山城守の時代より長い間、6尺1寸を1間とされてきた竿打ち(江戸時代の田畑の面積測量・検地)が、1771(明和8)年、時の城主松平信(出羽上山藩の第4代藩主)により5尺9寸に改められ、さらに荒廃した田畑も年貢地として復活させられた。この過酷な施策に、樋山文駄は何度となく嘆願したが受け入れられず、このため文駄は楢下の農民30余名と共に、七ヶ宿村に移り仙台領民になろうとした。その後、願いが聞き入れられ竿打ちは取り止めとなったが、首謀者とされた樋山文駄は1773(安永2)年、24歳の若さで処刑された。墓碑の背面には辞世の句「上下のためになるわれならば むじつと死てもおしくあるまじ」が刻まれている。
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●関所跡
上山藩と仙台藩の藩境に接する楢下宿は、羽州街道の宿場町として関所が設けられ人物改めや荷物の確認など厳しく管理された。宿場開設当初は中心部である下町に関所があったが、1757(宝暦7)年の洪水で被害をうけ、現在の楢下郵便局付近の新町に設置された。関所は明治以降に廃止され、現在は標柱のみが残されている。


●一里塚
一里塚は安土桃山時代に始まり、江戸幕府が1604(慶長9)年、江戸日本橋を起点に東海道、東山道、北陸道をはじめ、主要街道の一里(約4km)ごとに塚を築き、旅人の里程の目安とした遺構。楢下宿の一里塚は金山峠側の端に、奥州街道から分岐した旧羽州街道の12番目として設置。本来、一里塚は街道の両側に土盛りをして塚状にし、榎や檜などを植えるが、道路の拡幅工事などで現在その姿はなく、一里塚のあった場所に石碑が建立されている。 石碑の傍らには故事に習い、鬼門除けに槐(えんじゅ)が植樹されている。    
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●粟野豆腐店
明治初期から楢下の横町で創業を続ける老舗豆腐店。観光客向けに、散策がてら楽しめる「あるき豆腐」(1丁100円)を、隣接する「丹野醤油店」の醤油で提供。店内では季節限定豆腐の他、生揚・厚揚(各63円)や、丹野醤油店の漬物類(各315円)も販売している。
住所/山形県上山市楢下38 
TEL/023-674-3368

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●丹野醤油店

1928年(昭和3)年創業。昔ながらの手作業でつくられるこだわりの味噌・醤油は、尖らないやさしい味わいが特徴。低塩のため、かけ醤油やめんつゆ、鍋物、たまごかけごはんなど、さまざまな料理に使える。「みそ漬」、刻みみそ漬の「大名漬」なども好評。
住所/山形県上山市楢下40
TEL/023-674-2322

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■原口そば屋

大正初期から続く、地元でも人気の手打ちそばの名店。車でしか行けない郊外の場所にあるにも関わらず、平日は地元客、休日は県外から多くの蕎麦好きが押し寄せる。現在の主人は3代目。代々引き継がれた手法による、自家製粉そば粉を使った風味豊かな10割そばが定評。メニューは、そばと、そばがき(納豆・ごま)、酒、ビールのみ。そばがきの美味さでも知られる。
住所/山形県上山市原口527
TEL/023-674-3101
営業時間/11:00〜19:00(12〜5月初旬は11:00〜17:00)*売り切れ次第終了
定休日/火曜
駐車場/有り

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■葉山舘

かみのやま温泉・葉山地区にある湯宿。デザイナーズ家具がレイアウトされたスタイリッシュな館内は、しっとりと落ち着いた大人好みの佇まい。「華葉亭」「四季亭」「翠葉亭」の3タイプある客室の全てに、源泉かけ流しの温泉風呂が付いている。食前酒から、自家農園のわらび粉でつくるデザートまで、地元産の食材による手作りの懐石料理は評判。

住所/山形県上山葉山5-10
TEL/023-672-0885
チェックイン 14:00 チェックアウト 11:00
立ち寄り入浴/10:00〜20:00 入浴料金1,050円 *バスタオル付 露天風呂あり
交通/山形自動車道・山形蔵王I.Cより国道13号線経由で約30分
     山形新幹線・かみのやま温泉駅から車で約5分
駐車場/有り
*EV充電器あり
http://www.hayamakan.com/
              
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posted by kaminoyamaaruku at 19:23 | 日記 | 更新情報をチェックする
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